私には4つ下の弟がいます。そしてもうひとり3つ下の弟がいました、3ヶ月だけ・・・
生まれてからのほとんどの時間を大学病院のベッドで過ごし、家にいた記憶はほとんどありません。
唯一記憶にあるのは、コタツに入っている弟のそばで、寝ている弟を見ていた私です。
子供の頃、何度か母から病院の様子を聞いたことがあります。
その時はフ~ンと聞いていましたが、あまり実感がありませんでした。
物心ついた時には、すでに家には小さなお仏壇があり、それはご先祖のものではなく、弟のものでした。お正月、お盆、お彼岸とお墓参りに行くことは生活の一部で、弟しか入っていない小さなお墓に手を合わせることに何の不思議もありませんでした。
先日まで放送されていた‘赤鼻の先生’というドラマ、詳しいストーリーを知らなかったので、結局最後の3~4回しか見られませんでした。
今までにも小児病棟を取り上げたドキュメンタリーなどは何度も見たことがあります。もちろん可哀想と言う気持ちが大きかったのですが、何故かこのドラマを見て、胸を突き上げるものがありました。
昔、母が話してくれたことを急に思い出し、いたたまれなくなったのです。
今からもう50年も前のことです。今なら治る病も当時はそうでなかったことが多いでしょう。弟は今で言う胆道閉鎖症ではないかと思います。
同じ部屋に小学生ぐらいの男の子がいたそうです。原因不明で、どんどんお腹が膨れて行き、やがて命が尽きる・・・その子のお母さんは、そのことがわかっていながらわが子に付き添っているのです。しかも、その子のお兄ちゃんもすでに同じ病で、お母さんは悲しい思いをされていたそうです。
そのお母さんが母に‘この子が亡くなったら献体するの’と・・・
ウチの長男が赤ちゃんの時、ちょっとしたことで2度入院しました。一度目の病院の小児病棟には何人かの子供が長期に入院し、自分のベッドの横に机を持ち込んで、朝は屋上でラジオ体操、それから学校へ行って、また病院へ帰って来る。
二度目の病院には院内学級がありました。長男が小学1年生の時の先生が、その後そこの先生となられ、‘あぁ、あそこだ・・・’と印象深かった記憶があります。
ドラマでは患者である子供達は回復しつつあるところで終わったのでホッとしましたが、ここに来て亡くなった弟のこと、母が話した病室の話が自分の中で大きくなったことに驚きました。そして、色々なことがあったにせよ、子供達が成人を迎え、大きくなったことが当然ではない、すごいことなのだと改めて実感し、胸がいっぱいになりました。
亡くなった我が子を抱いて、帰りのタクシーの中、ずっと泣いていたという母、どんなに辛かっただろうと・・・
翌年、神様が男の子を授けてくださいました、一年後の同じ日に・・・
9月27日、今日は亡くなった弟の50回目の誕生日、今を生きる弟の49歳の誕生日です。