--ひとの内部で時は流れず、雲のごとくかたちの定まらぬ記憶が浮いているだけだから、おそらくだれもがいつまでたってもじぶんでは若いつもりなのだ。
今日、夕刊を読んでいたら、こんな文章が載っていた。
夕方、実家の母と電話で今の状況などの話をしていたら、母が‘いくつになったかねぇ?’と聞く。
‘もうすぐ54になるよ’と私。‘えぇ!もうそんな歳だったかねぇ?じゃぁ、私とおんなじだわ’と言う。
‘ほんと?そういえば、25年前は54、そうだねぇ!’
25年前とは、私の実家に次々と嵐が吹き荒れ、我が家が実家の近くに引っ越した年である。
その3年前には私が結婚して家を出て、次に弟が就職で家を離れ、父が転勤になった。
家には母と20年近く脳血栓で半身付随になっていた祖母だけになった。
寝たきりではなかったので、結構左手で自分の身の回りのことをしていた祖母だったが、さすがにそうはいかなくなって来た。
今でこそ介護、認知症という言葉がどこでも聞かれる時代いなったが、そのころはまだまだ・・・
かかりつけのお医者さんに、寝たきりになるかもしれないと言われ、さぁ、どうするか・・・
結局、子供が小さかった我が家が引っ越した。
残念ながら、いや、本人にとっては良かったかもしれないが、長期間寝たきりにならず、祖母は他界した。
しかし、母の実家の祖父母も相次いで倒れ、母も体調を崩し入院、その間に義父が入院、長男が一歳の夏は、毎週病院をかけもちで回っていた。
その後も不幸が続き、いったいいつになったらこの嵐から抜けるのだろう・・・とほんとに悲しくなった一年があった。
その時母は54、そんなに若かったのかぁ・・・その当時は、もっともっと歳をとってからの話だとしか思えなかった。
しかし今、6月で54になる私、順送りだあなぁ・・・
それでも今は、このようにして友人や文章に表現出来る時代、ありがたいことです。